Ryuji sueoka biography of michael
末岡龍二
末岡 龍二(すえおか りゅうじ、1979年5月22日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはMF、FW。
来歴
[編集]山口県光市出身。兄の影響でサッカーを始める。
進学した光高校にはサッカー部が存在せず、同好会で活動(卒業後には部に昇格)。
卒業後は中京大学サッカー部所属。2000年には全日本大学サッカー選手権優勝を経験した。在学中にアルビレックス新潟(当時J2)のトライアルの誘いを受け、2002年に入団した。
2004年にアルビレックス新潟シンガポールにレンタル移籍しリーグ戦12ゴールをあげSリーグ年間MVP候補に選出され、2005年にはアルビレックス新潟に復帰。しかし2005年度限りで退団、その後はシンガポールやタイのクラブでプレーした。
2009年、インド所在のモフン・バガン・スーパー・ジャイアントに入団。
2010-2011シーズンには、所属するサルガオカーSCがインド・Iリーグを制覇。全37試合中26ゴール(リーグ戦25試合中18ゴール、得点ランキング3位)の成績を修め年間最優秀選手に選ばれた。
2011-2012シーズンは全40試合で17ゴール(リーグ戦23試合中10ゴール)を挙げ、フェデレーションカップ(天皇杯に相当)優勝を経験した他、決勝戦のキングフィッシャー・イースト・ベンガルFC戦で3点目を挙げた。
2012-2013シーズンはデンポSCに移籍したが、シーズン中の左足の甲の怪我により3カ月間離脱が響きリーグ戦も18試合の出場にとどまる。個人的には18試合中11得点とチーム得点王、3年連続2桁得点を達成するもチームは5位の成績を収めた。
2013-2014シーズンにはキングフィッシャー・イースト・ベンガルFCに移籍。移籍の理由について末岡はインタビューでAFCカップ2013に出場するためだと語っている[1]。同大会でベスト4を経験した。
2014-15シーズンは日系インド人の和泉新が所属するプネーFCに移籍。
2015年12月1日、自身のブログで現役からの引退を発表[2]。
所属クラブ
[編集]個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 新潟 | 16 | J2 | 5 | 0 | - | 2 | 0 | 7 | 0 | |
2003 | 12 | 1 | - | 3 | 1 | 15 | 2 | ||||
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 新潟S | Sリーグ | 27 | 12 | 1 | 0 | - | 28 | 12 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 新潟 | 23 | J1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 8 | 1 |
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | ゲイラン | Sリーグ | 29 | 4 | - | ||||||
2007 | バレスティア | 32 | 9 | - | |||||||
通算 | 日本 | J1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 8 | 1 | |
日本 | J2 | 17 | 1 | - | 5 | 1 | 22 | 2 | |||
シンガポール | Sリーグ | 61 | 13 | - | |||||||
総通算 |
指導歴
[編集]- 2016年 - 2020年 聖カタリナ大学サッカー部 監督
- 2016年 - 2021年 愛媛FC
- 2016年 - 2021年4月 スカウト兼ヘッドオブエデュケーション
- 2021年 U-18/U-17 コーチ
- 2022年 - 2024年 Y.S.C.C.横浜 コーチ
メディア掲載
[編集]ほか